“見える化”がつなぐ、地域と教育――安芸高田から始まるデータサイエンスの共創モデル
広島県安芸高田市。中国山地に広がるこの地域で、いま「鹿」をめぐる新しい取り組みが進んでいます。
人口約2万6000人のこのまちでは、同数ほどの鹿が生息し、農作物被害や処理費用の増大が課題となってきました。
株式会社cica代表・金沢大基さんは2018年、取材をきっかけに安芸高田市を訪れ、現地で「朝から晩まで鹿に出会う街」に驚いたといいます。そこから、鹿を “厄介者” ではなく地域の資源として再定義する構想が始まりました。
この構想に共鳴し、データの力で地域課題に挑む株式会社Rejoui代表・菅由紀子が加わります。
両者は、現場で紙に記録されていた鹿の捕獲情報をデジタル化し、地図や数値で共有する「鹿の可視化プロジェクト」を立ち上げました。本記事では、金沢さんと菅が語る「地域課題 × 教育 × データサイエンス」の共創の軌跡を紹介します。

朝から晩まで鹿に出会う街――安芸高田との出会い
金沢:
鹿との出会いは2018年。株式会社iDでウェブメディアを運営するなかで、全国の生産者や料理人を取材していました。「次は広島を取材してみよう」と考え、ご縁があって安芸高田市を訪れることになりました。
市の担当の方がとても熱心で、「ぜひ現地を見に来てほしい」と誘ってくださったんです。
同年10月、3日間の滞在中に農家さんや地域の方々に話を伺っているなかで、まず驚いたのが鹿の多さでした。
朝は道路脇、昼は畑、夜は山のふもと――どこに行っても鹿がいる。まるで生活の風景の一部のように、当たり前にそこにいるんです。
市の方に尋ねると、「人口約2万6千人のまちに、同じくらいの数の鹿がいるのでは?」と言われて驚きました。この30年ほどで急増し、捕獲しても追いつかない。食肉加工場を建てても採算が取れず、赤字で運営が続いていると聞きました。

金沢:
けれど僕にとっては、それが単なる「困りごと」には見えなかった。
海外の食文化にも親しんできた経験から、フランスでは貴重な食材として扱われる鹿が、日本では厄介者とされているギャップに強い興味を持ったんです。「美味しいもの」として価値のあり方を変えることができれば、日本でも流通する可能性はあり得ると感じました。
そこで鹿肉を東京に持ち帰ったのがはじまりです。地元の方に聞くと、冷凍庫に鹿肉が入っている家庭もありましたが、 「硬くて美味しくない」「もらってもあまり食べない」という声が多かった。食べられるものとしては知られているけれど、日常の食卓に上る存在ではない。そこに、まだ見えていない価値があると感じました。
その後、東京の親しいシェフたちに安芸高田市の鹿肉を試していただき、そのおいしさに太鼓判を押していただけたこと、安芸高田市の猟師や食肉加工場で働く方々の技術の高さが認められたことで、ブランド化を決意しました。
Premium DEER安芸高田鹿として全国のレストランに届けていく事業をスタート。
2022年には安芸高田市に「DEER LABO安芸高田」をオープンし、2024年には東京から広島に移住しました。これまで株式会社iDの新規事業としてきた本事業を法人化し、現在は株式会社cicaの事業として進めています。
現在は全国70店舗以上の飲食店で扱われ、広島県内の大学や高校、中学校の学食にも採用されています。
2018年、偶然の取材から始まった出会い。
それは、地域の課題を新しい視点で捉え直すきっかけとなりました。
この気づきが、後にRejouiとの協働による「鹿の可視化プロジェクト」へとつながっていきます。
“見える”ことで、人も地域も動き出す──鹿の可視化プロジェクト
安芸高田で進む「鹿の可視化プロジェクト」では、捕獲記録をデータ化し、地図上で動きを可視化する取り組みが行われています。 記録者による個別のノートや口頭共有だった情報を統合し、「いつ・どこで・どんな鹿が捕れたのか」を数値と位置情報で整理。現場の感覚とデータを行き来しながら、地域の人々が共通の言葉として使える仕組みを目指しています。
現場での成果や分析手法の詳細は別記事(▶︎「鹿×データ」から生まれた、地域課題と探究の新たなアプローチ)でも紹介していますが、ここではプロジェクトの過程で見えてきた気づきを中心にお届けします。
菅:
これまでの取り組みのなかで、私たち(Rejoui)と出会ったのは広島がきっかけでしたよね。
出身大学も年齢も一緒、という思いもよらないご縁でつながって。安芸高田の拠点にも伺って、ご一緒することになりました。
当社が運営するWiDS HIROSHIMA(ウィズひろしま)のワークショップの一環として「鹿の可視化」をやってみませんか?とご提案させていただきました。データサイエンスを活用して地域の課題を解決。加えて、地元の高校生たちに楽しく学んでもらうこともできるとてもいい題材だったなと思っています。
金沢さんには企画から参画いただきましたが、いかがでしたか?
金沢:
安芸高田に限らずですが、データ活用の経験はほとんどなくて、狩猟履歴は紙で記録しているだけ、という状況でした。天気、サイズ、締め方などを書き留める記録はあっても、分析はされていない。
だから現場は感覚で動いていたんです。「この山に多い気がする」「この人が一番捕っている気がする」といった感覚が、数値化してみると違うこともあると見えてきた。

菅:
実は隣のエリアのほうが多かった、みたいなこともありましたね。天気の影響も面白かった。雨の日と晴れの日では傾向が違う。現場の方から「雨だと行く場所が限られる」といった声もあって、地形や行動とセットで見えてくる。
この辺りは、今後も統計データとして積み上げていければ、もっと現場に役立てられますよね。
季節・性別による違いの話も面白かったですね。
金沢:
メスは春に出産するので、冬に栄養を蓄える。一方でオスは発情期に痩せていく。
その後、夏に向けてオスの脂が乗ってくる。夏鹿はオスが良い、というような傾向ですね。
どちらも美味しいけれど、時期によって状態が全然違う。
菅:
以前ディスカッションした「味の可視化」も、ここにつながりますね。
金沢:
やりたいですね。栄養学や食品科学の領域とも組めそうです。
たとえば熟成。「熟成」という言葉が感覚的に使われがちですが、期間や条件(温度・湿度など)によってどう変化するのか、数値で追えると評価軸が増える。
捕獲時に最高の処理ができなかった個体だとしても、別軸で評価できる可能性が出てきます。
菅:
取り扱いが難しくて塊肉としては向かないケースでも、加工や熟成の工夫で別の価値を持てるようになる、と。
金沢:
そうです。最上位品としては卸せない状態でも、加工肉として自信を持って届けられるレベルを目指したい。
そのためにも、捕獲方法(銃・罠)、処理手順、血抜き、運搬スピードと温度管理など、プロセスを可視化して、評価の軸を増やせたらいいなとおもいます。
菅:
「誰が、どこで、いつ、どんな状態で獲ったか」という捕獲の記録情報は、ハンター側よりも、むしろ卸やレストラン側に喜ばれる情報かもしれませんね。
金沢:
鹿肉にはいわゆるランクのような統一的な物差しはありません。牛でいえばサシのような指標があるけど、鹿にはない。全国的にもほぼないはずです。
脂の好みも人それぞれなので、一律に「Aが最高」でもない。だからこそ、状態の違いを伝える分類や表示があると、「Cの2の鹿をください」のようなやり取りがしやすくなる。
菅:
評価や栄養面は、大学との共同研究テーマにもなり得ますね。
金沢:
理系教育に熱心な大学と相性が良さそうですね。時系列で可視化を重ね、季節やエリアの変遷も見たいし、味の可視化にも進みたい。そうやって扱う側が信頼して選べる情報を整えたいんです。
菅:
捕獲の現場にフィードバックするだけでなく、卸・飲食側までつながる情報設計にしておくと、地域全体の理解と評価がそろっていく。いつどこで誰がどう扱ったのか、その透明性が価値になる。
金沢:
可視化は“捕るため”の道具であると同時に、扱うため、伝えるための基盤にもなる。そこまで行けると、地域の見え方そのものが変わると思います。
行政の線を越える、野生の現実
「鹿の可視化プロジェクト」を進める中での発見やノウハウを、他種、他地域にも展開してより広く役立てたい。
そんな想いとは裏腹に、野生動物ならではの様々な野生の現実が立ちはだかります。
野生動物に関するルールや、行政の壁を乗り越えて、広く長くこの取り組みを続けていくためにはどういった視点が必要になるのでしょうか?
菅:
鹿から離れますけど、各地でクマのニュースも増えていますよね。鹿と同じアプローチで応用できるんじゃないかと思っているんです。安芸高田市の事例をモデルケースとして、地方の課題を地元の人たちが自らデータで解決できるようにサポートしていきたいなと。
金沢:
今日はちょうど鹿児島からイノシシの相談が来ました。安芸高田と同じくらいの規模の市です。
最近だとアオサギの話題も聞きます。田んぼでの影響が大きくなっている地域もあって、どう扱うかが課題になっている。
カモも地域によっては増えていますが、撃ってはいけない種類もあって見分けが難しい。間違えると重大な問題になるので、あまり手を出したがらないという声もあります。
アナグマなんかも味は本当に良いのですが、三原などではブドウ園で房が食べられるケースが増えていると聞きます。
イノシシも含め、地域によって向き合い方を考えないといけない問題ですね。

菅:
生きものごとに前提が違うから、データ収集と運用の設計をきちんと切り分ける必要がありますね。
横展開は、対象(鹿・イノシシ・アナグマ・鳥類など)と地域(山間・沿岸・島しょ)の違いを前提に、設計をチューニングしていくイメージですね。
金沢:
鹿については、まずは全国への流通の整備です。そして価値を上げて提供することで、拠点でしっかり食べられるようになる導線づくり。教育機関や食堂と連携し、子どもや学生が鹿を口にして、それをきかっけに山に目が向けられる――そんな活動も進めたい。
これを安芸高田モデルだけじゃなく「広島モデル」にしていけると良いと思っているんです。別の動物に対する横展開と合わせて、他地域への展開もしっかり考えていきたいなと。
菅:
他地域への展開を考えると、行政との連携も重要になってきますね。
金沢:
そうなんです。たとえ可視化して動きが見えてきても、安芸高田にいた個体が山を越えると東広島、少し下れば広島市……という具合に、行政区分が変わるだけで取り扱いが変わる。猟友会の管轄も違います。
より広く問題を解決していくためにも広域での連携、県が入ることが必要になってくるんです。
菅:
環境関連や鳥獣保護の所管など、一つの市役所だけでは目が届きにくいところが出てきますよね。
金沢:
以前、ある県でも関心を持ってもらって市役所とやり取りしていましたが、市長交代で継続が難しくなったケースもありました。行政と連携する以上、継続の仕組みにも設計が要りますね。
菅:
分かります。自治体と連携して進めると、そうした事情が出てくることもありますよね。だからこそ、可視化という共通基盤を据えて、運用が変わっても続けられる形にしておきたいですね。
未来構想と人づくり──鹿から始まる循環のデザイン
「鹿の可視化プロジェクト」を起点に、自然と人、地方と都市、教育とテクノロジーをどう循環させていくか、山から海へとつながる生態系の連鎖から、過疎化・テクノロジー・人材育成へ…今後どのような展開を見せていくのか語ってもらいました。
菅:
最後に未来に向けてのお話を少しさせてください。
鹿を軸に取り組んできた中で、これから日本の山や海がどうなってほしいと思いますか?
今回のような可視化の取り組みを他の地域や世代にどう伝えていきたいですか?
金沢:
僕らは鹿をアイコンとして置いています。鹿を見てもらえれば、山を見るきっかけになる。
山が豊かでないと川が豊かにならず、その先の海にもつながらない。
今、川の食材を使う取り組みをしていますが、結局は山の豊かさがその源流にあるんです。だから、山から川へ、そして海へ――そうした自然の循環を知ってほしい。
特に広島では、食をきっかけにすることで、こうした循環を身近に感じてもらえるようにしたいと思っています。
テクノロジーが開く“人と自然の共存モデル”
金沢:
もう一つ未来の要素として考えているのが、中山間地域では少子高齢化、過疎化が進行し野生動物との共存が難しくなってきています。この現象はアジア諸国やその他の国でも起きてくることだと思います。だからこそ、この日本でA Iやテクノロジーをもっと積極的に導入していければ、世界でも先進事例になるのではと思っているんですよね。
菅:
たとえば熊の被害にロボットを活用できたら、人の命を危険にさらさずにすむ。
あるいは、匂いや音といった感覚的なデータを科学的に分析すれば、動物の行動を制御するような新しいアプローチも考えられる。そういう形で、データや科学を現場の安全に役立てていきたいですね。

金沢:
交通整理など危険な現場では、すでにAIやロボット化がどんどん進んでいる。 野生動物との関わりも同じで、「人間が直接向き合うのが当たり前」という前提を見直す時期かもしれません。テクノロジーを活かして、人間の知恵を次の形に進化させる。それが、日本らしい新しい力になると思っています。
菅:
活動を広げていくためには、行政や企業との関わり方にも工夫が必要ですね。
金沢:
はい。現状では企業単体の活動が多いですが、業界横断で取り組むコンソーシアム的な枠組みをつくりたいと思っています。一社で活動するのではなく、複数の企業や自治体がチームとして参加し、それぞれの専門性を持ち寄って地域に関わるような形。そうすれば、プロジェクトが個人や一過性の情熱に依存せず、構造として続いていくはずです。
菅:
当社も今後の取り組みを強化して、「人を育てる人を育てる」仕組みを作っていきたいです。
データを使って課題解決をするところまでではなく、見出した課題から新しい価値を創造して社会に還元していくというのが、これから求められていくデータサイエンティストのあり方だと思っていて。そうしたデータサイエンティストが地元で育ち、地元で活躍できるようにしていけたらいいなと思っています。
教育が生む、学びの生態系
金沢:
形式ばった教育ではなく、実践の中から学びが生まれる場所があったらいいなと思っています。
鹿や野生動物のスペシャリスト、地域の循環を設計する人が育っていくような。
今縁あって、広島女学院中学高等学校で中高生向けに探求授業を行っています。僕は、中高生は未来をより柔軟に考えられる世代だと思っていて。だから、「鹿という社会課題を、食べながら考える授業にしよう」と提案したんです。
最初は「鹿を食べたことがない」という子ばかりでしたが、そこからなぜ増えたのか、どう活かせるのかと自分たちで考え始めてくれて。
菅:
なるほど。食べながら社会を学ぶというのはいいですね。実践の中で、データや現象を自分ごとにできる。
金沢:
そうなんです。生徒たち自身がチームを組んで、企画を立て、動いていく。学祭での試食会を企画したり、そのために校長先生へのプレゼン資料を作ったり、PR動画を作ったり。「自分たちで鹿を広めたい」と動いてくれるのが本当に頼もしいです。
知識を覚えるだけじゃなく、自分の手で動かす。社会課題を解決する側の視点を持つことで、学びが生きたものになる。
彼女たちは今、学びの中で社会を変える体験をしているんだと思います。
菅:
いいですね。それがそのまま、次の世代の地域づくりにつながっていく。
金沢:
そう思います。今後は、この取り組みを教育の仕組みとして定着させていきたいです。
鹿や野生動物を入り口に、地域を理解し、新しい価値を生み出す人を育てる――そんな場が各地にあっていい。
そして、もう少し先には海外との連携も見据えています。
フランスやイタリアなどの欧州の国では、野生のものを貴重な食材としてきちんと扱う文化があります。そこから学べることが多いはず。鹿をきっかけに、地域と教育、そして世界をつなげていきたいです。
菅:
地域を学びのフィールドにしていく。まさに探究そのものですね。
金沢:
小さな取り組みですけど、これが未来の学びの形を変えていくと思っています。

おわりに
データサイエンスという言葉には、少し専門的で、どこか遠い印象を持つ人もいるかもしれません。
けれども、地域の課題や自然との共生といった、私たちの生活のすぐそばにこそ、データの視点が息づいています。
安芸高田のプロジェクトは、「鹿」という身近な存在をきっかけに、 地域の学生が自らの手でデータを扱い、読み解き、問いを立てるという新しい実践を始めた事例です。
データを扱うことは、単に分析することではなく、世界を別の角度から観察し直す行為です。
気候、環境、文化、産業――それらを感覚と記録の両方で捉えることで、地域の姿がより立体的に見えてくる。そうした積み重ねが、「課題」を「希望」に変えていく力になると私たちは考えています。
金沢さんの言葉を借りれば、鹿は山を映す鏡です。鹿を見れば山が見え、山を見れば川や海が見える。
地域の循環をデータというレンズで見つめ直すことで、人と自然の関係を再構築する視点が生まれます。
それは「データを使う」から一歩進んで、「データで関係を設計する」段階へと進化しつつあるのです。
安芸高田での取り組みでは、データを通じて地域を学び、語る人が少しずつ増え始めています。教育・行政・企業がそれぞれの立場から関わり、データが“共通言語”として根づいていく。この「共通言語の生成」こそ、持続可能な地域社会を支える基盤だと私たちは見ています。
Rejouiでは、教育現場・自治体・地域団体などへのデータサイエンス導入支援を行っています。
皆さまの挑戦を支える伴走者として、データサイエンスを「誰かの挑戦を支える力」へと変えていきます。
教育と地域のあいだに立ち、データを“動かす”仕組みを設計し、“見える化”が人を動かし、地域を動かす――その未来を、ともに描いていきたいと考えています。
学校の授業から探究活動、地域連携プロジェクトまで、目的に応じた設計をご提案します。
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